肉じゃがと聞くとどんなイメージが頭に広がりますか?「おふくろの味」だったり「家庭の味」といったフレーズでしょうか。それとも、ほっくほくのジャガイモがあっつあつの湯気を立てているイメージでしょうか。
今回は、ニッポンのおふくろの味、肉じゃがの誕生の秘密、肉じゃがの由来に迫りたいと思います。どうやら、肉じゃが誕生には、日本の英雄が関係していたようです。
肉じゃがはビーフシチューの失敗作?
海軍の司令長官だった東郷平八郎は、23歳の時にイギリスのポーツマスに留学しました。その時ビーフシチューを初めて食べ、たいそう気に入ったそうです。
留学を終えて帰国した東郷は、どうしてもビーフシチューが食べたくなります。そこで、部下の料理人に頼みます。
「ビーフシチューが食べたい。作ってくれないか。」
しかし、料理人はビーフシチューを見たことも聞いたこともありません。材料は東郷から聞いていましたが、どうしても肝心の味がわかりませんでした。
そこで考えあぐねた料理人は、ビーフシチューの具材にしょうゆや砂糖、ごま油で味付けをして作ってみました。しかし、出来上がったものはビーフシチューとは全く違うものでした。
おいおいと思いながら東郷が食べてみると、案外美味だった。というお話。
それが、肉じゃがのはじまりだと言われています。
確かに、ジャガイモに玉ねぎ、牛肉などビーフシチューと肉じゃがの具材は、かなり似ている点が多いですよね。
東郷平八郎説は「ガセ」?
実はこの話、昨今「都市伝説」ではないかと言われているのです。
海軍料理人がビーフシチューを知らないはずがない?
日本には明治4年(1871年)頃にはビーフシチューが食べられるレストランが東京に存在していました。
東郷さんが留学から帰ってきたのは明治11年ですから、その気になればいつでもビーフシチューを食べられたはずです。
レストランで食べられる料理を、無理して作らせる必要はなかったんじゃないか?
そもそも軍の料理人が、洋食屋で食べられる料理を一切知らなかったというのは、おかしいじゃないか!という反論です。
確かに司令長官という地位にいる東郷さんが、東京で市民がすでに食べていたビーフシチューを手に入れられないのはおかしな話です。
東郷は西日本に赴任していた
ただ、東郷さんは日清戦争で戦い、その後長崎県佐世保や広島の呉、京都の舞鶴に赴任しています。
その後は日露戦争を戦うわけですが、そんな激戦の中にいる東郷さんがシチュー食べたいと言って簡単に東京へ行けたでしょうか。
東京へなかなか行けなかった東郷さんが、部下の料理人に「ビーフシチューを作ってくれ」と頼むのは無理からぬことかなと思えてきます。
平成肉じゃが論争
さて、東郷さんが「ビーフシチューを作ってくれぃ!」と頼んだとされる地はどこだったのでしょうか。そこが肉じゃが発祥の地、な訳ですから、大事な話です。
「呉」か「舞鶴」か
実は、発祥の地を巡って二つの市がバチバチの火花を上げて争っていたのをご存じでしょうか。共に東郷が赴任した地、京都府舞鶴市と広島県呉市の二つです。
我こそは発祥の地として名乗りを上げ、平成7年(1995年)に舞鶴市が「肉じゃが発祥の地」を宣言します。
呉市は遅れること3年、平成10年(1998年)に「肉じゃが発祥の地?」とクエスチョンマーク付きで宣言しました。?を付けたのは、一応舞鶴市を思いやってのことだそうです。
実は東郷平八郎は舞鶴に赴任する10年も前に呉に赴任しており、そこで肉じゃがが作られたのではないか?という理由から宣言をしたそうです。
結局、どちらが発祥の地かどうかは資料が残っておらず、はっきりとはわかっていません。
論争の果てに
二つの市はグルメ祭りにおいて、どちらが真の発祥の地かどうかを決めるべく勝負をしています。
イベントの参加者に二つの市が作った肉じゃがを食べてもらい、判定してもらおうという企画です。結果は引き分け。もう、二つの市は争いというより楽しんじゃってますよね。素晴らしいことだと思います。
現在では、「舞鶴・呉 双方が肉じゃが発祥の地」ということになっています。
軍隊式肉じゃがの普及
脚気対策としての「西洋化」
今ではほとんど聞かないですが、明治時代には脚気(かっけ)が原因不明の病として深刻化していました。
当時、全く原因がわからなかった病ですが、西洋では脚気が少なかったことから「西洋式料理」に何か秘密があるのではないかと考えられ、兵隊食の洋式化が進みました。
脚気予防に西洋食である肉、西洋の野菜、パンなどが取り入れられていったことから、肉やジャガイモを使った「肉じゃが」や「カレー」は献立の種類を増やす上で取り回しが効きやすく便利でした。
そしてカレーや肉じゃがなどが、晴れて軍の正式献立になっていったのです。当時はまだ肉じゃがという名前ではなくて「旨煮」や「牛肉煮込み」という名前でしたが。
※肉じゃがという名前に統一され始めたのは、実は昭和40年代頃で、結構最近なんです。
東郷平八郎説が嘘か真かは置いておくとして、戦争が終わる頃には、肉じゃがは名前こそ違うものの、兵隊さんらに愛される献立の一つだったのです。
そして戦争が終わり、軍を離れ日常に戻っていった兵隊さん達によって肉じゃがやカレーのレシピが各家庭に持ち帰られ、日本の国民食になっていったのです。
今でも自衛隊の海軍カレーと言えば、伝統の味として有名になっていますね。
軍式肉じゃがのレシピ
最後に、軍式肉じゃがのレシピをご紹介して終わりたいと思います。海軍式と陸軍式があるので、お好きなほうを作ってみてください!
海軍式肉じゃがの作り方
材料: 生牛肉、蒟蒻、馬鈴薯、玉葱、胡麻油、砂糖、醤油
- 油入れ送気(アブライレソウキ)※油を入れて加熱
- 三分後生牛肉入れ
- 七分後砂糖入れ
- 十分後醤油入れ
- 十四分後コンニャク、馬鈴薯入れ
- 三十一分後玉葱入れ
- 三十四分後終了
陸軍式肉じゃがの作り方
イ 鍋に「ラード」を入れ、牛肉、生姜、山椒の実及少量の葱を加へて空煎りし火の通りたるとき少量の湯を加へ、肉の軟くなる迄煮熟す。
ロ 肉の軟くなりたるとき人参、馬鈴薯の順序に投入して煮立て、砂糖、醤油にて調味し、最後に葱を入れて煮上ぐ。
肉じゃがの由来 まとめ
肉じゃがの由来は東郷平八郎が作らせた説は完全な証拠が残っていないため不確かですが、歴史やレシピを紐解いて見ると、どうやら大正から明治にかけて、その原型が作られていったようです。
当時は「肉じゃが」という名前ではなく、レシピによって呼び方がまちまちで統一性は無かったみたいですね。
肉じゃがという名前に統一されはじめたのが昭和40年終り頃。昭和50年代に入ると完全に名前が浸透し「おふくろの味」として日本人の国民食になっていったのでした。
この話には、実は大きな謎がまだ一つ残っています。それは、結局東郷平八郎は、大好きなビーフシチューを食べることができたのか・・・という謎です。
調べてみると、東郷平八郎は晩年、東京に住んでいました。これはもう、疑うまでもないですよね。きっと、そういうことです。