ハーメルンの笛吹き男 ドイツ史上最大級のミステリーの真相に迫る

ハーメルンの笛吹き男

 ハーメルンの笛吹き男の話を知っていますか?日本にはグリム童話として有名なお話です。でもこれ、実は創作でも何でもない「史実」を元にしているんです。今でもドイツ史に残る最大のミステリーとされているハーメルンの笛吹き男のお話。

 今回は、ハーメルンの笛吹き男とはどんな話で、一体彼は何者だったのか。そして子供達はどこへ行ってしまったのか。ドイツ史上最大のミステリーの真実に迫っていきたいと思います。

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超訳 ハーメルンの笛吹き男

ハーメルンの笛吹き男
 まずは、ハーメルンの笛吹き男がどんなお話だったのか、簡単にご紹介したいと思います。

ハーメルンの笛吹き男

 ネズミが村に大発生しました。ネズミ達の暴れぶりに、村人達は困り果てていました。

 そこに道化のような服装をした男が現れました。男は「自分ならネズミを退治できますよ」と言うのです。

 村人達は男にネズミ退治を依頼しました。すると男は自分が持っていた笛を吹き出します。

 笛の音色につられて、不思議な事が起こります。村中のネズミが一斉に集まりだしたのです。

 集まったネズミは笛を吹く男の後についていきます。川まで歩くと、ネズミ達は自ら川へ飛び込み始めました。

 なんと、全てのネズミが川で溺れてしまったのです。こうして、村中のネズミは退治されました。

 男が「報酬を」と言うと、報酬を支払うのが惜しくなった村人達はこれを拒否してしまいます。

 男は激しく怒り「恐ろしい事が起こる」とだけ言って村を出て行ってしまいました。

 幾日も過ぎ、村人達もその事を忘れかけていた頃、男が村に戻ってきました。

 男が笛を吹くと、村中の子供達がその音色につられて踊りだし、男について行ってしまいました。

 そして、子供達はそれっきり帰ってきませんでした。

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ハーメルンの笛吹き男は史実

 実はこのハーメルンで起こったとされる悲劇は完全な作り話ではなく、一部が実話になっています。

 それはラストの「子供達はそれっきり帰ってきませんでした」の部分です。130人位の子供達が集団失踪した事実として、記録されているのです。

 ハーメルンの笛吹き男は今から700年以上も昔、1284年6月26日のお話です。実際には何が起こっていたのでしょうか。いくつかの説をご紹介します。

ハーメルンの笛吹き男の真実とは

ハーメルンの笛吹き男の像

少年十字軍説

 1202~1204年頃、少年十字軍が発生しました。主にフランスやドイツで12歳から15歳ぐらいの少年少女が聖地奪還を掲げてエルサレムを目指すのです。

 ハーメルンの笛吹き男は十字軍に参加させるために、少年少女をスカウトしに来た男だったという説です。そしてまんまと130人の子供達を新兵として連れ去ったという訳です。

 彼らは武器も資金も食料もない集団だったので、聖地エルサレムにたどり着くどころか、途中で諦めてほとんどの者が故郷に帰ったという、変な集団です。

 しかし、帰らずに残った者の中には奴隷業者に騙されて売られてしまったという悲しい記録も残っています。

集団移民説

 現在最有力の説です。ドイツのハーメルンから自分達の村を作るため、集団でハーメルンの町を去った(移民した)とする説です。笛吹き男は、移民を仲介した移民推進人というわけです。

 日本でも、何々市出身の人を「○○っ子」と言う事がありますよね。江戸っ子とか土佐っ子とか。同じくヨーロッパでも「住んでいる場所の子」とする風習がありました。そういう意味で「ハーメルンの子供達=ハーメルンに住む人たち」を指したのではないかと言われています。

 移民説には証拠があります。ハーメルンの東、ドイツ東部のウッカーマルク(Uckermark)周辺には、ハーメルン周辺の地名と似たような地名が多数あります。

 しかしながら、移民説にも疑問が残ります。まず、当時移民はドイツ全体で起こっていました。どうしてハーメルンにだけ伝説が残ったのでしょうか。移民したのであれば、当然その後の連絡も可能です。それが伝説によると姿が消えてから一度も連絡が取れず、その後の音沙汰が何もないようなのです。

 こういう推測ができます。まず当時ハーメルンの人口は2000人程度だったそうです。その中の若者が130人も抜けるとしたら一大事です。少し大げさに規模を分かりやすく例えると東京1000万人のうち65万人もどっかにいってしまったようなイメージです。

 他の村の移民がせいぜい多くて50人程度だったのに対してハーメルンから出て行った人間が多すぎます。

おわりに

 
 移民説が本当だったとしても、移民後何の音沙汰も無かったというのは不思議すぎます。そしてハーメルンの伝説は新天地に旅立った人間の希望ある物語にはどうしても読めないのです。何か薄暗い禍根を残しているように思えてなりません。

 ・・・謎に迫ると言っておいて全く真相が分かりませんでした。

 一体、ハーメルンの子供達はどこへ姿を消したのでしょうか。笛吹き男とは一体誰だったのでしょうか。今となっては、誰も真相が分からないのかもしれません。

 ハーメルン市では、現在でもこの130人の子供達が通ったとされる通りは「舞楽禁制通り」と言って、音楽を奏でたり、踊ったりする事が禁止されています。

 最後にハーメルンの笛吹き男の最古の史料であるとされるステンドグラスの一説を引用して終わりたいと思います。

1284年、聖ヨハネとパウロの記念日 6月26日
色とりどりの衣装で着飾った笛吹き男に
130人のハーメルン生まれの子供らが誘い出され
コッペンの近くの処刑の場所でいなくなった

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